1974年の春、大阪市住之江区にあった文化住宅の一室から関塾ははじまりました。
教育者としての経験の無かった創業者・田部井昌子の最初の仕事は、講師を集めることでした。
「学校の先生の言っていることがよくわからない。」という娘の言葉に、先行投資を惜しまず、当時としては破格の次官級を設定し、優秀な講師を採用し、塾生を集めることができました。
授業が終わると、講師と分かりやすい教え方について話し合うようになり、やがて教室に【わかりやすい授業】という兵庫が揚げられるようになりました。
また、勉強を教えることはできませんが、塾生の相談を親身に聞き、時には講師や他の塾生との口利きをしたり、励ましたり、父兄の相談に応じたりと、教室の世話に本気で取り組みました。
この評判は瞬く間に広がり、開塾時に25名だった生徒は、半年後には120名まで増えました。
1976年の秋、日本では前例のない学習塾のフランチャイズチェーン事業を開始。当初は小規模なものでしたが、塾生や講師の募集方法、経営システムまで、関塾経営のノウハウをマニュアル化し、どの教室でも同じ教育サービスを受けられるようにした本格的なものでした。
当時の学習塾は、教育経験者が経営する個人塾が多く、やや暗いイメージがつきまとっていましたが、関塾の明るく楽しい授業を全国に広めたいという想いから、学習塾の事業課に本格的に取り組んだのです。
40数年の歴史の中で、社会環境も家庭環境も大きく変わりました。しかし、塾生のひとりひとりを見て教育する授業は、あの四畳半で膝をぶつけ合いながらはじめた頃と変わることはありません。
「授業がわかれば、勉強はおもしろい」
それが、関塾の原点です。